やはり日本美術の原点、そして日本画の原点!

強烈な個性をもった縄文土器や人々の祈りの中から生まれた土偶。
実利・機能を優先した弥生時代の造形。
さらに古墳時代には権力者、支配者のための美術が台頭しました。
旧石器時代も含め、ここに日本美術の原点を見出すことができます。

人類が最初に使った赤色の顔料!その名もベンガラ!

旧石器時代

石器の出現から農耕の開始までの時代をさします。

人間がすぐれた美術的活動を展開するのは、
世界的に見ると後期旧石器時代のおよそ3万年前頃からといわれています。
フランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟に描かれた壁画、
ウィーンのヴィレンドルフのヴィーナスと呼ばれる石彫の女神などはその代表例です。
日本におけるものとしては、石器に美を見出すことができます。
これらの壁画や石器に使われていた赤色彩色がベンガラ使用の最古の事例とされています。

「槍先」(尖頭器)長野県神子柴遺跡出土 個人蔵

黒曜石を石核として両面から丁寧に打ち欠き、左右対称の木葉形の槍先に仕上げられています。
刃先はきわめて鋭利で、熟練した技術がうかがい知れます。

縄文時代

狩猟・漁・採集を基調とした食糧採集経済に属し、人々は定住的な生活を営んでいました。
この「定住化」が人々に余暇の時間を与え、美術を生み出すきっかけをつくりました。

その代表例が土器土偶です。縄文土器の出現はおよそ1万3000年前にさかのぼり、それから1万年以上にわたり作り続けられました。縄文土器は世界最古の土器といわれており、表面に施された独特の縄目文様から、縄文という名がつけられました。

縄文土器は野天で焼かれた素焼きの土器で、縄目模様のほかに貝殻や竹、模様を刻んだ木の棒などで多様な模様がつくりだされており、製作された時期や地域によって、姿形に個性がみられます。土器は食材の煮炊きや殺菌効果を生みだしたことで、食べることを可能にし、人々の健康・生活の安定化をもたらしました。

「遮光器土偶」青森県津軽市

縄文時代を代表する土偶の一つです。
その名の通り遮光器のような大きな楕円の目とそれを引き立てる装飾が特徴です。
胸元の飾りなどの凹んだところに赤い色が残っていることから、
もとは全身が真っ赤だったと考えられます。
遮光器土偶は、縄文時代晩期に数多く作られましたが、
東北地方北部の限られた地域にのみ分布しているのが特徴です。

「立像土偶」(縄文の女神)山形県立博物館蔵 国宝

縄文時代中期。安定感ある下半身と極端にデフォルメされた上半身です。
目・鼻・口の表現はありません。

「土偶」(縄文のヴィーナス)長野・茅野市戸尖石縄文考古館蔵 国宝

太い二本の足でしっかりと立ち、尻を後方に突き出した形は
ふくよかな女性のやわらかい曲線を表現しています。

「火焔型土器」新潟・十日町市博物館蔵 国宝

縄文時代の半ば信濃川中・下流域の限定した地域に存在しました。

全体は約30センチで円筒形の胴部から上の方に広がって4つの取っ手があり、
炎が燃え盛るような装飾が施されています。
その装飾は土器本来の機能としては不要なものであるため、
祭祀用として用いられたと考えられています。

「狩猟縄文土器」青森県立郷土館蔵

胴部中央に弓矢が粘土紐で立体的に表現されています。
縄文人はあえて人物を表現せず、狩猟具のみを土器に貼り付けることで豊猟を願いました。

「彩漆土器」山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館管 重要文化財

丸みを帯びた土器。赤漆を下地とし、その上に黒漆で繊細で流麗な線の模様が描かれています。
縄文時代における漆工技術の水準の高さを物語っています。

弥生時代

米と金属器に象徴される時代です。

紀元前10世紀から5世紀ごろから、九州北部を中心に水田稲作が行われるようになります。
この水田稲作を基盤として成立した時代を弥生文化と呼びます。
人々の生活は食糧採集経済から米を主体とする食糧生産経済へと大きく変貌を遂げます。

弥生時代の造形は、実利・機能を優先し新たな機能美を誕生させました。この縄文から弥生への造形意識の変化は、朝鮮半島や中国大陸から流入した新たな価値観の獲得によってもたらされたのでしょう。そして新たな素材として金属。鉄と青銅を武器や生産用具・祭器などに加工しました。美しい輝きと強靭さを併せもち、破損しても熱さえ加えれば再び自由な形によみがえる金属から生まれたのが、弥生時代の美の象徴ともいえる銅鐸です。

「壺」(へら描き人面文土器)愛知・安城市歴史博物館蔵

壺に刻まれた弥生人の顔。
『魏志』倭人伝には「男子は大小と無く皆鯨面文身す」とあります。
鯨面は顔に入れ墨や化粧をした状態を指します。
顔を飾り、耳飾りをした弥生人の状況を今に伝えます。

「袈裟襷文銅鐸」東京国立博物館蔵 重要文化財

日本最大の袈裟襷文銅鐸です。
紐には大型の双頭渦文の飾耳がつき、太さの異なる突線で構成された
精緻な幾何学文が全体を覆っています。

日本絵画のはじまり!墨、朱、緑、黄、白!

古墳時代

古墳時代を象徴する前方後円墳。その巨大な墳墓は単に権力者の墓というだけではなく、その独特のデザインが厳格な階層社会における権力の象徴として存在していました。その権力は墓の形や構造ばかりでなく、副葬品にも反映されました。

古墳時代後期の装飾古墳は、一種の魔よけとして石棺に刻まれた直弧文などの装飾から始まり、やがて石室内にこうした図文が彫刻・加彩されます。さらに盾・靭など辟邪の意味をもつものが彩色壁画として描かれるようになり、馬・鳥・人物像などの具象的な図文が壁面を飾ります。

「高松塚古墳石室壁画 西壁面北側」奈良県高松塚古墳 国(文部科学省) 国宝

西壁の北側に描かれた四人の宮女。
色とりどりの縦縞のスカートの上に、丈の長い上着を着る。
当時の日本における宮廷の風俗を反映したものだと考えられます。

「キトラ古墳の壁画 南壁 朱雀」奈良県キトラ古墳 国(文部科学省) 国宝

朱雀は古代中国の四神の一つ。南方の守護神とされる。
翼を大きく広げ、まさに飛び立とうとする瞬間をとらえた傑作です。

「チブサン古墳壁画」熊本・山鹿市立博物館

石棺内に施された連続菱形文・三角文を主体とする幾何学文。
これらは赤・白・青の三色の顔料で塗分けられています。

飛鳥・奈良時代

藤原京の時代に律令制に基づく中央集権国家が成立し、
日本という国号も定められます。

飛鳥時代の幕開けは、百済から伝わった仏教に象徴されます。
聖徳太子による仏教を中心とした国づくりが始められた際、
外来の宗教である仏像をわかりやすく伝えるものが必要となり、
多くの仏像や絵画が作られました。

6世紀半ば、豊かな造形をもつ仏教が百済より伝わります。
外界の美術が断続的にもたらされるなか、日本美術を育む土壌が形成されていきました。

仏教絵画は飛鳥時代から描かれ始め、
奈良時代には遣唐使の派遣などを通じて学んだ作画技術を磨いて、
すぐれた作品を生み出しています。

「法隆寺金堂壁画」六号壁 阿弥陀諸尊図 焼損前 奈良・需要文化財

金堂壁画は1949年に焼損しています。
鉄線描とよばれる均質で強靭な描線により浄土図や菩薩、飛天など
初唐で流行した図像を用いてインド風の濃厚な姿で描き出されています。

「釈迦霊鷹山説法図(法華堂根本曼荼羅)」アメリカ・ボストン美術館蔵

深遠な山水中に釈迦三尊を中心に供養菩薩や仏弟子をあらわします。
背景には複雑な景観構成を有する山水や楼閣が描かれ、
唐代における山水画の進展が仏画の世界に及んだことを示していると共に、
多様な絵画表現の形式がもたらされていたことがわかります。

そして「やまと絵」の誕生!

中国的主題の「唐絵」に対し、9世紀半ばの宮中の文化サロンの中で
日本を舞台とした「やまと絵」が多く描かれるようになります。

平安時代

平城京から長岡京に遷都した784年から平氏が滅亡した1185年までの
400年間という長きにわたる時代です。
8世紀末から9世紀前半における政治・儀礼制度や文化は唐風化が著しく推進されました。
804年の遣唐使で入唐した最澄空海によって密教がもたらされ、
密教思想を図解した曼荼羅などを通して唐代中期の絵画様式が伝えられました。

「伝真言院曼荼羅(西院曼荼羅)胎蔵界」京都・東寺蔵

現存する最古の彩色された両界曼荼羅。
原色を多用した彩色、細かな金彩表現は、平安時代を通じて仏画にあらわれる
各種の技法を先取りしたように見えます。

「不動明王像(黄不動)」京都・曼珠院蔵

肉体表現や装身具の形態は唐代の美術様式を反映したものと見られます。
本図は、園城寺に伝わる原本を写したものとされています。

「源氏物語絵巻」愛知・徳川美術館蔵 東京・五島美術館蔵 など 国宝

紫式部がこの作品を生み出しました。
優れた技量を持つ絵師を雇い、高価な絵の具をふんだんに使って描かせたといいます。
さらに金銀の装飾まで施されるなど、絵巻の制作が
宮廷の富を背景にした一大事業であったことがわかります。

作中に描かれる建物の屋根が取り払われ、壁がほとんど描かれていないところが特徴です。
この俯瞰して室内をのぞき見るかのようなこの描法を「吹抜屋台」といいます。
登場人物の心情が細かく描写され、見るものを絵巻の世界により引き込む巧みな技法です。

「神護寺山水屏風」京都・神護寺蔵

典型的なやまと絵屏風です。
柔らかな墨線で引かれた輪郭の上から緑青や群青で彩られた山や土坡の間に、
寝殿造りの建物が散在します。建物や人物は濃彩で描かれ、物語の一場面を見るかのようです。

「北野天神縁起絵巻」国宝

930年に清涼殿を襲った落雷をモチーフに描かれています。
雷神に姿を変えた菅原道真や落雷時にはすでに病死していたはずの道真の政敵、
藤原時平を登場させるといった虚構も含まれています。

伝 鳥羽僧正《鳥獣人物戯画》京都・高山寺 国宝

甲乙丙丁の4巻からなり、甲巻と乙巻は平安時代後期、丙巻と丁巻は鎌倉時代の制作と推定されます。
作者は鳥羽僧正覚猷とも、寺院に所属した絵仏師とも言われていますが
解明はされておらず、詳しいストーリーも不明です。

本作の最大の魅力は擬人化された動物たちです。
動物たちのユーモアあふれる動きには、現代の漫画に通じる表現も使われ、
マンガの原点とされています。

そのほかの主な建築・仏像

高徳院阿弥陀如来像(鎌倉大仏)神奈川県 国宝
三十三間堂 千手観音 京都 国宝
東大寺南大門 奈良 国宝
東大寺南大門金剛力士像 運慶・快慶 奈良 国宝

ご予約・お問合せはこちら