5代将軍徳川綱吉の在位中から11代将軍徳川家斉の在位初期まで。
8代将軍徳川吉宗の享保の改革、田沼意次の商業を重んじた政策、松平定信の寛政の改革と、社会の変動期です。この時期、京都と江戸の双方で新たな文化の担い手となった町人を中心に、多彩な洗練された作品が生まれます。
中国の官僚たちが知識人のたしなみとして描く絵を文人画と呼び、その風習に憧れた様々な階層の人によって、日本でも文人画(南画)が描かれました。しかし、日本では上手さよりも画家の内面や精神性が重視される傾向にありました。中国文人画のやわらかなスタイルを手本に、詩と書と画でのびのびと自由に表現する画風の池大雅、伝統的なものからはずれ、モチーフ選びも技法も自身の思うままに自由に描いた与謝蕪村が有名です。
1731年、清の画人・沈南蘋(しんなんびん)が来日。長崎に2年近くとどまり中国語の通訳を務める熊斐(神代甚左衛門)に画技を教授しました。濃い色彩と透明感のある没骨(もっこつ)法による迫真的な花鳥画は熊斐や南蘋の作品を通じて広まり、南蘋風の作品を描いた日本の画人たちは今日では南蘋派と呼ばれています。
南蘋派は絵画界に新しい花鳥画をもたらしたほか、新たな創作を刺激し、伊藤若冲らの絵画にその影響が見られます。江戸ではそのリアリティーある表現技法(陰影法や遠近法)が西洋画への志向と結びつき、秋田藩周辺で描かれた洋風画は、秋田で描かれたオランダ風の絵という意味で、秋田蘭画と呼ばれる作品群を生んでいます。
*秋田蘭画の画家のひとり、秋田藩士・小野田直武は鉱山技術を指導しに秋田に来た平賀源内に出会います。藩の命を受けて洋風画を学ぶため江戸に向かい、平賀源内と交友のあった杉田玄白に、西洋医学書の翻訳である『解体新書』の挿絵を描く役に抜擢されその挿絵を描きながら、西洋絵画の画法を学びました。
尾形光琳
宗達が確立したデザイン性の高い新しい絵画をさらに洗練させ、
琳派を発展させ近代的なデザイン感覚でやまと絵を革新しました。
《燕子花図屏風》東京・根津美術館蔵 国宝
光琳の鋭敏な色彩感覚が発揮された作品。
「伊勢物語」の一場面がモチーフですが、主人公も風景もすべて省略し、
花の形もほぼ同じで色も3色だけで構成しているのが最大の特徴の「留守模様」の屏風です。
家業の呉服屋で使用する着物の型紙を下書きに使ったとされ、
創意工夫によって「自身の表現したいものを描く」という
明確な意思が感じられる点でも新しい作品です。
《紅白梅図屏風》静岡・MOA美術館蔵 国宝
1873年のウィーン万博に出展され、画家クリムトに影響を与えたことでも有名な傑作です。左右に梅の木を配し、中央の余白部分に川が流れる構図は宗達の《風神雷神図屏風》の影響ともされます。自然にモチーフをとりながらも写実に終わらず、デザイン感覚を加えて自ら解釈した世界を描くことで、自然の中に宿る生命の本質を表現しようとしたのです。水墨と白緑を使いたらし込みで描かれた幹は、宗達の作品から学んだ技法。光琳独特の装飾された波模様「光琳水」は、その後琳派に受け継がれます。
*尾形乾山
光琳の弟。江戸時代前期の陶工・野々村仁清の技術を継承し、1699年に乾山焼と名付けて売り出しました。光琳が江戸から帰京すると、光琳に絵付けを依頼して兄弟合作の作品を手掛けました。
《銹絵寿老図六角皿》東京・大倉集古館蔵 重要文化財
伊藤若冲
錦小路の青物問屋「枡源」に生まれた若冲は、23歳で父の後を継いだが40歳で弟に家督を譲り、絵画制作を主とする生活を始めました。好きな絵を好きなように描けるようになった若冲は、狩野派に学んだあと中国古典画の模写に進んだものの実物を写すことの重要性を悟り、植物や動物、昆虫や数十羽の鶏を飼って研究しました。高価な材料をそろえ、顔料と染料を使い分けるなど贅を凝らし、没骨法や裏彩色といったテクニックも駆使して作画に没頭、80代まで現役を貫きました。
《樹花鳥獣図屏風》静岡・静岡県立美術館蔵
若冲が編み出した「枡目描き」とよばれる独創的な技法で描かれたモザイク画のような作品です。画面に1cm四方の升目を描き、さまざまな色を塗り重ねてモチーフを描くこの特異な技法は、西陣織の下絵に着想を得たともいわれています。(水墨画、筋目描きなど)
円山応挙
京都で大衆に支持された応挙は、モダンで新しい感覚の写生画を確立しました。
「写生の祖」と呼ばれる応挙は、形をリアルに写せば、対象物の生命力や精神性も表されると考えていました。当時は、描かれたものが本物らしく見えること自体が斬新でした。京都の伝統文化に馴染みがなくても理解できる、万人を魅了する美しさがありました。
《狗子図》滋賀・滋賀県立琵琶湖文化館蔵
兎や鳥などの小動物を描くのが得意でした。
戯れるコロコロとした子犬のフワッとした質感、リアルなかわいらしさは応挙ならではです。
《雪松図屏風》東京・三井記念美術館蔵 国宝
物語に属した何かの一場面ではなく、3本の松の雪景色を描写した作品です。
雪は白く塗らず紙の白地を生かすことでリアルさを追求し、樹皮の質感は輪郭線を引かない没骨法で写実に表現。左右の松は奥行きをもたせて描き、三次元的な空間を演出しています。雪の結晶に反射した光を表現するために、金箔を粉状にした「砂子」を使っています。
《藤花図屏風》唐京・根津美術館蔵
金箔の地に藤が描かれています。色鮮やかな花に対して、蔓は墨だけ。
筆の穂先に墨を濃くつけて、一度の運びで濃淡を表す
「付立(つけたて)」の技法による、簡潔かつ迫真的な表現です。
*応挙寺(円山応挙ゆかりの仏教寺院の別称)
亀居山大乗寺のことで、応挙とその一門の画家たちの襖絵などが多くあります。