開国は西洋化をもたらし、急速な近代化が始まりました。
美術においても、世界に誇れる「日本の美術」が求められます。
1873年のウィーン万博に日本が正式参加した際に訳語として初めて「美術」という言葉が使われました。これ以降、近代的な意味での美術の概念や制度化が進んでいきます。本来、「美術」は絵画、彫刻、建築といった分野をもつ概念でしたが、明治初期には、油絵屏風、生人形、置物、擬洋風建築など、いずれも「美術」の枠には収まらない造形物が現れ、伝統的な職人技術の上に西洋的な概念を接ぎ木するように受け入れられていきます。
ヨーロッパのリアルな油絵技法が本格的に流入してきたのは明治期に入ってからのことで、中国やヨーロッパのような大文明圏では、リアリズムの技を極めようとする美術が主流でしたのでリアリズムを求める傾向は錦絵や日本画にも広がりました。
近代の日本画は、狩野派や円山派をはじめとする伝統画派の表現に西洋画的な要素を加えたことに始まり、西洋画が前提としている客観的な写実的表現を日本画で実現しようとしたのです。
河鍋暁斎(1831年~1889年)(天保2年~明治22年)
生涯を通じてあらゆる表現を探求し続けた熱心な奇想の天才絵師。
狩野派の流れを受けているが、土佐派や四条円山派などの伝統的なものから、浮世絵や西洋画に至るまで知りうる限りの画法を研究し、同時に仏画や山水画などの伝統的な画題から世相を反映した戯画や風刺画まであらゆる主題に精通していました。
観衆の前で下書きなしにその場で絵を完成させる「席画」も頻繁に行っていたようで、
今も多くの席画が残されています。
《花鳥図》
非常に丁寧に描かれた華やかな作品。色とりどりの秋の草花と、蛇と雉子が絡みあうエキセントリックで美しさとグロテスクさのひねりが効いた奇想な作品。
狩野芳崖
長府藩の絵師の長男、江戸時代のエリート画家。
大政奉還により御用絵師の制度も解体されて失職するものの、
第一回内国絵画共進会にてアーネスト・F・フェロノサと出会い
狩野派の絵師から明治の日本画家となって再出発しました。
《悲母観音》
日本美術院の幕開けを象徴する作品です。
東京美術学校の設立に画家として貢献した
横山大観(1868年~1958年)(慶応4年~明治元年)
いわずと知れた近代日本画の大家。
元は画家志望ではなく、当時の風潮にしたがって西洋文化を学んでおこうと英語学校に通っていました。英語学校を卒業した後、東京美術学校に第一期生として入学。新しいに日本の絵画である日本画を切り拓く一員となります。
「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の表現方法を確立。岡倉天心没後の1915年に日本美術院を再興しますが、この頃になると画風は朦朧体を離れ、琳派のような大胆な構図やたらし込み、マチス由来の片ぼかしなどを使い「新光琳派」とも評された、装飾的なものに変化します。
富士山を画題とした作品は2000点を越えます。
《紅葉》
色彩の対比が美しく、大観の作品のなかでもひときわ豪華な作品です。
膠を塗った上に大きさの違うプラチナ箔を何回かに分けて撒く工芸の技法を使い、奥行や躍動感のある状態に仕上げています。銀箔ではなくプラチナ箔を使うことで、紅葉の鮮やかさに負けない輝きが出ます。
菱田春草(1874年~1911年)(明治7年~明治44年)
横山大観とともに岡倉天心のもとで学ぶ。
新たな日本画の想像を目指し、従来の日本画に無い三次元的な空間表現に取り組み、没線4描法という輪郭線を描かない西洋画を意識しながら日本画らしい空間や陰影の表現を可能にした。
《落葉》
伝統的な屏風形式を用いながらも、空気遠近法を用いて
日本画の世界に合理的な空間表現を実現しました。
速水御舟(1894年~1935年)(明治27年~昭和10年)
新たな表現を求めて絶えず画風を変え続けた。
写実を突き詰めた細密描写などを経て琳派的な画風を研究。
40歳の若さで没したことに加え関東大震災で多くの作品が消失したことにより、
現存作品は600点ほど。
《炎舞》
蛾は滞在先の軽井沢で写生したもの。いずれの蛾も真正面に描かれているにも関わらず、生きて飛んでいる様に見える。炎の表現は従来から伝統的な仏画や絵巻物の表現を参考に様式的でありながらも、非常に写実的。
上村松園
女性が画家を志すのは異例な時代にあって、男性社会に「女性の清らかな美しさや気高さなど本来の女性の美」を追求していきました。
「序の舞」東京芸術美術館
着物の鮮やかさと眼差しの鋭さは強い意志を示し、垂直の姿勢と水平に伸びた右腕は緊張感のある構図を作り出します。「何者にも犯させない女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉な絵こそ、私の念願するものなのです」と松園が語る通り、簡潔さの中に豊かな世界を思い起こさせます。
福岡県の有名な日本画家
水上泰生(1877年~1951年)(明治10年~昭和26年)
富田渓仙(1879年~1936年)(明治12年~昭和11年)
福岡ゆかりの日本画家
川辺御楯
小早川清
中西耕石