日本画の歴史

とにもかくにも日本画ってなあに?

「日本画」の印象を聞くと、墨で描かれた絵画や色彩の優しい絵画、
詳しい方は岩絵具などがイメージされるのではないでしょうか?

横山大観とともに学んだ菱田草春はこう言っています。

「表現手法の如何にかかわらず日本人の感性によって描かれた絵画は、
西洋画であっても日本画であっても「日本画」になる。」

アメリカの美術史家フェロノサが使ったJapanese painting
岡倉天心が「日本画」と訳したのが始まりと言われています。
それまでは、「日本絵画」と呼んでいました。
しかしその定義はあいまいです。

みなさんはどうですか?

  • 明治以降に誕生した伝統系の近代絵画を西洋画、油彩画に対して「日本画」と呼ぶ。
  • 岩絵具や膠(にかわ)などの画材によって区別している。
  • 装飾古墳、高松塚古墳壁画、法隆寺金堂壁画日本絵画の発生源とも考えられる。

などなど外国の方に説明すると考えた場合、
やはり「“和紙、岩絵の具、膠(にかわ)”を使って描かれた絵画」と説明することで、
油彩画、水彩画との違いを示すように思います。

春草の言うことも頷けますが
“日本の文化や習慣”を共通認識としてもっていることが前提となってしまうので、
前提が違う場合はやはり画材から説明する方が日本画を知ってもらいやすいように思いますね。

では今につながる日本画、その源流である日本絵画と美意識を軸に歴史をたどっていきましょう!

すっかり知ってるしっかり知らない日本絵画!

日本の絵画の歴史は、古墳内部に描かれた壁画からはじまります!

5世紀ごろから内部を装飾した古墳が現れ始め
抽象的な文様や人物、動物、武具などが描かれていきました。
そして本格的な絵画は飛鳥時代のころ、仏教伝来とともにもたらされました。

奈良時代に入ると、唐の影響を受けた
鮮やかな色彩を持つ絵画が制作されるようになります。

平安時代に入り、日本独自の技法が誕生します。やまと絵です。
やまと絵は中国の唐絵の影響を受けて発展したとされ、
日本固有の風景や風俗、寺社の由来、絵巻物などが描かれていきました。
このやまと絵は江戸時代になるまで広く親しまれていきました。

平安時代の華やかな世界観から一転して、鎌倉時代には死や合戦などが主題となりました。
武士の時代となり殺伐とした情勢が続くなか世相を反映した作品が作られました。
似絵と呼ばれる写実的な肖像画が描かれるようになったのもこの時代です。

室町時代には、足利義満のもと禅僧たちが中国との交流に活躍したこともあり、
絵画にも禅宗の影響が現れるようになります。
その代表が水墨画です。雪舟により日本水墨画が確立されました。

安土・桃山時代には、城郭建築の発展に伴い、城の内部を彩る障壁画が発達。
狩野派長谷川等伯などの絵師によって絢爛豪華な作品が作られました。

狩野派は江戸時代に入ってからも繁栄を築き、日本画壇の頂点に立ちます。
それに対抗する形で、俵屋宗達を祖とする琳派も活躍します。
伝統的なやまと絵を基盤として数々の作品を生み出しました。
江戸時代は鎖国と呼ばれる体制の中で文化は熟成され、開花していきます。

そして明治時代の開国は日本に西洋化をもたらし、急速な近代化が始まるなかで
「美術」という翻訳語が一般化し、その概念化や制度化が進んでいきました。
日本画や洋画、彫刻や工芸など、新たなジャンルの枠組みが生まれました。

大正時代になると西洋美術の動向が書物などで日本に伝わり、
若い芸術家たちが先鋭的な表現へと進みます。
日本画や美術団体の変革も行われますが、戦時体制が強まると、戦争が描かれます。

そして社会体制が大きく転換した敗戦後、美術もめまぐるしい変転をとげていきます。

ご予約・お問合せはこちら